ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

元夫と久しぶりにお話。



元夫とは離婚後、基本的にパソコンメールのみで
しかも諸手続きなどの業務連絡等でしか交流を持っていなかったのですが
(医師からも私の精神安定のためにそう勧められたのもあります)
昨晩、元夫から業務連絡ついでにちょっと辛い内容の文章が入っていまして。




まあ簡単にいうと
『お前は離婚して友人にも医師にも恵まれて、
ネットや電話で俺の悪口言いながら
毎日順風満帆な生活なんだろ?それなのにうつ病にかかったとは驚いた』

みたいな内容でした。




友人や医師に恵まれているのは事実で、それは本当に幸せなことですし、
やっぱり私だって人間で、悪魔の心も持っていますから
「少しは痛い目見やがれ」と彼に対して思ったことはあります。






でもこのメールを読んで「彼は今、幸せじゃないんだろうか?」と思いました。
それと同時に「私が離婚を言い出した理由」を理解していないんじゃないかと
思い、その誤解を解きたくて…勇気を出して電話をしました。


2月3日の日記にも書きましたが、離婚すると言ったのは…
もちろん自分自身の今後の幸せのためではありますが
それと同時に「彼を精神的苦痛から開放したかった」からです。
でも今もその苦痛から逃れられていないのなら…それは悲しい。


なので私がなぜ離婚を言い出したのかを改めて話しまして
今も嫌いではないこと、出来ることならば離婚せずに共に生きたかったこと、
涙を流しながら(←我慢できなくて)自分の思いを話しました。
そして彼に聞きました。「今もお辛いですか?負担なのですか?」と。


彼は「いや、それはない。すごく開放された」と言ってくれました。
「よかった」というと何か語弊がありますが、でも私はこの言葉を聞いて
本当に「よかった」って思ったんです。離婚してよかったと思ったんです。




そして私の今の生活を話しました。


実は未だに両親以外は離婚の事実を知らないこと。
(本当に冗談抜きで姉弟すら知らないんです)
親戚に至っては障害者になったことすら知りません。
冠婚葬祭には出席させてもらえません。


どんなに快晴の日でも陽が決して当たらない部屋でひとりきり。
古い家のせいか、すきま風が凄くて室内なのにとても寒いんです。
これで一気に痛みが増えて、寝こむ日が増えました。


そして「いつどこで誰に会うかわからないから」と
通院・法的手続き以外の外出は基本的に許されません。
(※外出交渉はとんでもなく時間と体力・精神力を使いますが
やっぱり出かけたいので頑として交渉しまくります)




つまり「障害者の私を隠そう」としているんですね。
両親の気持ちも分かるんです。
私だけの問題では済まない事態だってあります。
それが悲しくも…障害者の、我が田舎の現実です。







それを聞いた元夫は絶句していました。本当に文字通り絶句。
「順風満帆どころか想像を絶する生活だった…」とポツリ。
そして「また何かあったら連絡くれ」と言ってくれました。
「外出先で『久しぶり。元気?』って会えるといいな」
とも言ってくれました。


ちょっと大げさですが…「和解」みたいなもの…かな。


元夫は離婚後…独身に戻ったなりの苦労や悩みはあっても
私がいなくなったことで大きな負担も減って肩の荷がおりたそうです。
あと食生活のせいで急激にウエストが増えたそうです(笑)。


私は病状も悪化し、彼とは逆に痩せてしまい、軽いうつ病も再発。
でも私は満足です。自分が選んだ道ですもの。後悔はしていません。
それに両親の「私を隠せ作戦(?)」だって交渉してやめてもらいます。
障害者も離婚も「恥」ではないんです。
私は胸をはって「お互い幸せになるために離婚した」と言い切れます。
いつか交渉が成功して…堂々と車椅子で出かけられるようにしたいです。
「私は順風満帆ではないけど、幸せです。
あなたから精神的負担が消えたと今日聞けて、
そして私がなぜ離婚したいと言ったのか理解してもらえて
さらにとても幸せです。お互い幸せになりましょう」

と彼に伝えました。





【 余 談 】
元夫が「誰か八重を支えてくれる男性がいればいいのにな」と一言。
その時は「難病+車椅子の人間と付き合いたいなんて思う男性が
いるわけないでしょう?苦労するのが確実に目に見えてますし」
なんて冗談めかして笑いながら話していましたが…


本当はそれをあなたにしてほしかったんだよ…と泣いていました。
我ながらちょっと情けない。