ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

いわきのフォトジャーナリスト・高橋智裕さんの講演会&写真展



f:id:sakurasaryou:20130127202931j:image


昨日、尾張一宮駅ビル内で開催された講演会と写真展に行ってまいりました。
昨日の日記にも書いたとおり、大寒波再来で自宅周りは積雪&吹雪。
私の身体にとっては最悪以外のナニモノでもない天候でしたが
どうしても…それこそ這ってでも行きたかった。
完全防寒態勢してもまだ寒い(ヒートテック!仕事しなさい~!)。
今日1日、完全にダウンしていましたが…心から「行けてよかった」と感じています。




そんな這ってでも行きたかった講演会と写真展。
Twitterでフォローをしてくださった方から知ることが出来ました。
福島県いわき市のフォトジャーナリスト・高橋智裕さん(サイトはこちら)。
ご自身も津波にのまれ、そして今も写真や講演会などで現状を訴える、
まさにこの姿こそ「ジャーナリスト」の方のお話。


私は東日本大震災のあった2011年9月に岩手・宮城・福島にお邪魔しております。
(詳細はこちら→http://www.nifty.com/25th/yume/report/1.htm
そのときは津波の被害が大きかった海岸沿いへは行きませんでした。
行くかどうするか…。当時、元夫と何度も話し合いましたが
まだ震災後数ヶ月。自衛隊や警察、支援物資の車、そして地元の方など…
たくさんの方が生きるために行き交う中、邪魔をしてはいけないだろうと
あえて行くことを断念したのです。「落ち着いたらまた行こう」と決めて。




その後…私は未だに断念したその場所へ行けていません。


離婚のドタバタもありましたし、病状も悪化している。お金もない。
そんな中、ご自身も被災され…現地をみて心から取材されている方のお話を
直接聞ける機会がやってきたのです。しかもお隣の愛知県で!
行きたい。話を聞きたい。当時の被災地は?今の被災地は?
ネットの中では知ることができない「生」の話をどうしても聞きたかった。
なので行ってまいりました。





映像とともに高橋さんのお話を聞くことが出来ました。
どこから書いたらいいのでしょう…。たくさんの情報と現実を知りました。





まず…。知らなかったことがひとつ。
あの日、津波の映像がニュースやネット、世界にまで発信され
「見たことがない」という人はいないでしょう。
私も何度も見ましたし、もう一生忘れることはない映像です。


実はあのとんでもない津波…第3波だったのですね。
お恥ずかしながら知りませんでした。本当に恥ずかしい。


いわき市では前日にも30cmの津波があったそうです。
そしてあの日の地震(ちなみにいわき市は3分間揺れたそうです)のあとの1波・2波。
現地の方も誰もあんな大津波がくるなんて思ってもみなかったのでしょう。


1月18日の日記に書かせていただいた「姫花ちゃんのハンカチ」。
姫花ちゃんのお母様はお産で里帰り。塾で働くお父様は通勤途中でした。
地震のあと、姫花ちゃんを預けていたご自身の実家へ向かい、
おばあさまと姫花ちゃんの無事を確認し「大丈夫だ」と安堵し
姫花ちゃんの弟さんをお迎えにいったとき…あの大津波が。
お父様は今でも毎日ご実家に行き、お線香をあげているそうです。
そして姫花ちゃんに謝って、手を合わせているそうです。


これは姫花ちゃんのお父様に限ったことではなく
家・家族・財産・思い出の写真…なにもかもを失い、
普通だったら明るい家に帰るはずが真っ暗で静かな家に帰る。
ひとりぼっちのさびしさ。悲しみ…。




あの日からまもなく2年。
震災直後は生きるためや、家族を探すために必死でそれどころじゃなかった。
そしてある程度落ち着いた今…悲しみにくれ、苦しんでいる人がたくさんいるそうです。
欲しいのは物資じゃない。炊き出しでもない。それはもう充分。
被災者にそっと寄り添う、心から被災者とともにある「心」だと。
そして忘れないことだと。





あとは、子供たち。
どこの世界でもそうですが、子供の笑顔が1番です。
子供たちの笑顔にたくさん励まされた大人たちがたくさんいらっしゃいました。


子供たちは学校に避難し、そこから津波を見ています。
一瞬にして流れていく家や人を見ています。
そして今なお、基礎しか残っていない町を見ながら通学しています。
昨年末、あの日と同じように地震と津波警報が発令されました。
実際に津波がやってきました。「あの日と一緒だ」とTVを観ていました。
あの時…子供たちは大パニックを起こしたそうです。
いつもは笑顔満載なのに、泣き叫びふるえる。
先生もどうしたらよいか、分からなかったくらいのパニックだったそうです。
笑っていても…子供たちの傷は大きく残っています。
もしかしたら地震が来るたびに泣いているかもしれません。
話を聞いて…出来ることならば、今すぐ子供たちを抱きしめたくなりました。




あとはネットで心ない言葉を書かれたり、デマを流されたり。
特に福島県の方は原発関係で色々誹謗中傷がある。
被災地を訪れる方が捨てていったゴミがたくさん落ちている。
それを掃除するのは、そこで生活する人たち…。
写真の中に喪服姿の女性がビニール袋を片手にゴミを拾っているものがありました。
追悼の日の出来事です。なぜ彼女がゴミ掃除をしなきゃいけないのでしょう?


ネットは便利です。
現に私はこんな身体でも、ネットのおかげで情報収集が出来たり
募金が出来たり、被災地応援商品を買えることができます。
でも…なぜ「いつまでも被災者意識でいるんだ」って書けるんでしょう?
2年経とうとする今も何も変わっていないのですよ?
なぜ被災地…いえ、被災者さんのお家があった場所にゴミを捨てるのでしょう?
どうして…どうでもいい、根拠もないデマを流すのでしょう?



もちろん復興が進んでいる場所もあります。
それは市役所が被災しているから、だそうです。
いわき市は大きな市。市役所や経済の中心部は内陸にあり、
津波をうけたエリアはいわば過疎地。市でも忘れられているような気分…。
被災地は…元気だけど、元気じゃないのです。




売名行為や必要のない支援はいらない。
(子供たちは素直ですからすぐにどちらかを感じ取るそうです)
もう1度支援のあり方を考えたい。






別に被災地に限った話ではありませんが…。
物資が渡され、食事が提供され、上げ膳据え膳でいると人は堕落します。
それでは意味がない。被災者が自立する復興。そのお手伝いをしたい。
まるで杖のように、立ちあがるための支えになりたい。






私は被災地の方々が作り、そして収益が作り手本人に直接渡る商品を
購入する支援をメインに行なっております。
収入もひとつの「杖」だと思うので、これからも続けていきたいです。
そして…寝たきりになる前にいわき市を始めとする沿岸部に行きたい。
写真やネット、そしてお話でも分からないものを感じにいきたい。
まちの人に出会ったらご挨拶をして、ご迷惑でなければお話を聞きたい。




今回、本当にお話を聞けてよかったと思いました。
ネットでも新聞でも分からない当時と今を知ることが出来ました。
そして自分の支援方法を今一度見直すきっかけになりました。


被災地の皆様が立ち上がる「杖」になるべく、出来ることから。
微力ながら、全力でお手伝いをしたいです。








どうまとめたらよいか分からず、いつも以上の駄文になってしまいました。
でも…それくらいの大きな収穫を得ることが出来ました。
高橋さん、はるばる愛知県までありがとうございました。