ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

「当たり前」なのは幸せなこと。



今日の日記は友人と電話しながら思いっきり主張しまくったことです。


友人も私も病気をかかえており、健康ではありません。
(口は元気だけど・笑)
友人の知人がお寺の御札に「健康」と書いて祈っていた方を見て
「そんな当たり前のこと、書いてもねぇ」と言ったそうです。
その「健康」と書いた人はおみ足が不自由な方だったそうです。




私も30歳ちょいまではヒールで走れるくらいの元気者でした。
子供の頃からしょっちゅうどこかを怪我していて、
実際に片手片足しか使えない、不自由な時もありました。
その時は「健康ってありがたいな」と思いますが、すぐ忘れちゃう。
「いつ事故とかに巻き込まれて障害者になってもおかしくない…」
とは思いつつも…健康が当たり前だとは思っていました、確かに。
本当に「健康ってありがたいこと」と思ったのはこの身体になってから。
なので正直、その知人さんのことを叱る権利はありません。


でも…非常に悲しくなりました。
友人が病気と闘っていることを知っているのに、その友人に向けて
サラッと言えちゃうその気持ちに非常に腹がたちました。




その方がどんな思いでそのお寺に来たか。
お寺に来るだけで大変だったかもしれない。
どんな理由でおみ足が不自由なのかは知らないけれど、
神仏に祈りたいくらい願った「健康」の二文字。
たった二文字だけど、それがどんなに素晴らしくありがたいことか。






私はお腹の中で子供をふたり亡くしています。
なので子供が無事産まれるということは素晴らしい奇跡だと思います。
なので甥が無事産まれた時は本当に嬉しくてたまりませんでした。
産婦人科医も「実際にお腹の中で何人も子供が亡くなっていくんだ。
普通に産まれるのは何にも特別なことじゃない。奇跡なんだ」と。


東日本大震災や信越県境地震の被災地を見てもよくわかります。
家があって、家族がいて、電気・ガス・水道が揃っていて
あたたかいご飯が食べられること。
電車やバスや車や船に乗って仕事にいけること。
「当たり前」じゃないんです。


私もほぼ寝たきりです。外出時は車椅子。しかも長時間移動はかなり辛い。
好きな時に自由に出かけることも、大好きだった車の運転も出来ない。
元気だった頃は「当たり前」が当たり前でなくなった絶望…。






各種事故などでよく聞く言葉。「自分だけは大丈夫だと思った」
その根拠と自信はどこから来るのでしょう?
脅してはいけませんが…「当たり前」は「当たり前」じゃない。
他人事でもなんでもない。明日は我が身でもおかしくないんです。


今、できている「当たり前」が「ありがたい奇跡」であることを
どうか心の隅っこでいいので留めてください。