ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

2~3年後が辛いことをやっと実感した


福島県地震津波の被害にあわれた方の講演会にお邪魔した時のこと。
(その時の日記はこちら→http://p.tl/JnEh
その時に彼はこんなことをおっしゃいました。


被災直後はまず生きるのに一生懸命で、必死で、
その後がどうこうなんて考える余裕なんてない。
本当の辛さがこみあげてくるのは2~3年ほど経ってから。
それからの支援がとても重要だ」


その時は「そうだよね、まずは生きるのに必死だものね」とか
「時を経た時、自分が出来ることはなんだろう」とか考えていました。



そして東日本大震災から3年が建った今。
私は違う意味で先の言葉を痛感しました。
どう見ても「被災地と一緒にするな!」な話ですが、
「こんな困ったヤツもいるのか」と免じて読んでやってください。



3年前の私はちょうど車椅子に乗り始めた頃です。
持っていた杖だけでは歩くことが出来なくなっていました。
そして病気が理由で離婚をしました。


一文無しで出戻りになった私は生きるのに必死でした。
両親との確執は言うまでもなく、服や趣味の骨董品を売りさばき
生活費にしていました。それでもお金は足りなくて
ハローワークに行くも「その身体だと生活保護のほうへ」と言われ
役場には「ご両親がおいでならば生活保護は無理ですね」と言われ

幸いにして友人から障害年金の存在を教えて頂き、無事に受給決定。
そして今はさらにありがたいこと在宅の仕事も頂けました。
とりあえず生活費に困ることはなくなりました。




そして今。
なぜか涙がとまらないのです。


障害者手帳障害年金も在宅の仕事ももらっておいて
贅沢なことを言っているのはわかっているのです。


なんで私はこんな病気になったんだろう・・・?
30歳すぎまで無駄なほど元気だったのに、今の私はなに?
生きているの?生きながら死んでいるの?


離婚だってしたくてしたんじゃない。
元気なままだったら、今もあのマンションで暮らしていただろうに。
マンションの奥様たちとおしゃべりしていただろうに。
OLとして、主婦として、妻として生きていただろうに。




生活費や医療費を捻出するために、信頼出来るお店に託した、
私の大好きな昭和レトロな洋服たち。
外出が出来ないためほとんど着ることもなく、眠っているより
大切にしてくれる人にお渡しして、そして私はお金を頂いて。


それでもどこにも売りに出せなかった、
捨てることも出来なかった服が1枚あります。

それはリクルートスーツ。
動かないおかげで太って、もう袖も入らないだろうに。
1番いらない服なのに。あちこちボロボロで捨てるしかない服なのに。


このスーツを着て、就活に走り回っていた私。
満員電車に揺られて仕事に行っていた時の私の服。
残念ながら今の医療技術ではもう1度あれを着て走ることは出来ない。
それでも捨てられない。まるで遺品のような私のスーツ。




最初のほうにも書きましたが、あんな大震災の被害にあわれた皆様と
こんなちっぽけな理由の自分を一緒にするな!って感じですが
(※重々自覚していますので、ツッコミはご容赦ください)
時が経った時の心の痛みをようやく実感しました。



間違いなく被災された方々の傷のほうが深くて辛い。
なので「実は私も一緒なんです」なんて死んでも言えない。
でも・・・形や大きさは違えど実感することが出来た自分。


私が出来ることはなんだろう。