ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

あらためて百人一首にハマる。


私が短期大学生の頃。「百人一首講釈」という授業がありました。
その名のとおり百人一首について学ぶ講義なのですが
担当教授がそれはそれは変わった人で(てか変わった人しかいなかった・笑)
テキストは一切なし。ついでに板書も一切なし。別にかるたを出すわけでもなし。


じゃあ何をいったいこの講義でやっていたのかと言うと、
学生が順繰りに1つ目の和歌から「自分オリジナル現代語訳」をする。
そしてその訳に至った経緯、自分なりの思いを皆の前で発表。
もちろん図書館などで資料を見たり、現代語訳された文章を読むのはOK。
ですが、丸写しはタブー。まねっこも当然ダメ。これをやったら即落第です。


自分の番が回ってくるまで図書館などで資料をあさりまくり
自分だったらこの和歌をどんなシーンで、どんな想いで詠むか。
準備がとても大変でしたが、非常に面白い授業でした。
別れの和歌に感情移入しすぎた怒りと涙の超訳
「・・・何かあったんか?」となぐさめていたり、
あまりにも個性的な訳に「そうくるか!」と教室が盛り上がったり。
そのうち学生同士で「私、この和歌やりたいけど担当じゃないんだよね」となり
教授に「どうしてもこの和歌を担当したい!」と直談判しにいったり。
本当に楽しかったです。



そして干支も一回り以上して歳をくった今。
あらためて百人一首を読むと、学生時代とはまた違った視点で
面白いなあ・・・と感じています。
この講義を受けていた当時、私には彼氏のカの字もいなかったので
恋する系の和歌はわかるようなわからないような気分だったのですが
まあそれなりに色々あった今は身にしみて分かる思いもあったり。



百人一首は当時のメールであり、歌であり、またTwitterのようでもある。
下火になったという話も耳にしましたが日本人がTwitterにはまるのは
140文字という短い文章に思いをこめる、ある意味和歌の魂がある気がします。
私の卒業した短期大学はもうありませんが、今もう一度あの講義を受けたら
どんな現代語訳をつけるのかな、私は。



ちなみに今、1番好きな和歌はこれ。



忘れじの 行く末までは かたければ けふを限りの 命ともがな