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ごきげんな日々とそうでもない日々。

4つの難病を抱えながら生きるヒトのなんでもないようでどうでもある日常。

終戦の日~私が聞いた戦争の話


本日は終戦の日です。70年が経ちました。
当時を知る方もどんどん減っていっています。
私は幼い頃から父方の祖父と、母方の祖母から戦争の体験を
教えてもらいました。貴重な経験だと思います。



私の父方の祖父(鬼籍)は陸軍将校でした。
祖父の家にはたくさんの勲章が飾られていました。
すべて将校時代、昭和天皇より賜ったものです。
そして今とは文字が反対の、日本・台湾・北朝鮮・韓国・中国が描かれた地図。
私が「おじいちゃん、お話して~」というと、この地図を広げて
「じいちゃんはこの道を通って、夜はここに隠れて、朝になると出撃した。
見上げると万里の長城がよく見えたよ。じいちゃんは1番最初に出撃するから
敵の弾をたくさん浴びてな。下呂温泉で傷を治して、また大陸へいったんや。
大陸へは足を向けて眠れんな・・・」
と何度も何度も同じ話をしてくれました。
最初の頃は幼すぎてよく意味がわかっていなかったのですが
歳をとるごとになんとなく祖父が大陸で何をしてきたのか分かるようになり
しわくちゃの肌になってもクッキリ残る銃弾の痕に恐怖を感じました。
あとは召集令状も見せてもらいました。通称・赤紙
もう何十年も経っているのに色あせることのない赤色がとても怖かったです。
当時、これを受け取った祖父・・・はもちろんのこと、
日本中の男性たちはどう思っていたのでしょうか。



そして祖父の妻・つまり祖母からは1度も戦争の体験を聞いたことがありません。
幼い子ども(伯父)を抱えて、出征する夫を送り出し、傷だらけで帰ってきて。
そしてまた出征していく。どんな思いでいたのでしょうか。




そして母方の祖母。孫の私が言うのもなんですが祖母はお嬢様。
女学生だったのに学徒勤労動員として駆り出されました。
もう材料はなにもないのに、毎日工場に出勤して、空襲警報が鳴ると
慌てて海の中に潜って、空襲から逃れたそうです。
それが毎日。日常茶飯事。花も恥じらう乙女時代をそんなふうに過ごし。
敗戦後は何日もかけて歩いて自宅に戻ったそうです。
必死に帰ってきた祖母を家族は「よく帰ってきた!」と迎えたそうです。



そしてこちらも母方の祖父からは戦争の話を聞いたことがありません。
私が7つの時に亡くなったのもありますが、身体が弱かったらしい祖父は
それはそれで何らかの苦労をしたそうです。詳しくはわかりません。





70年経っても話せないほど今も苦しんでいる人がいる。
「今、伝えなくては」と話ってくれる人もいる。
我が祖父母のように、私が幼い頃から語ってくれる人もいる。
70年前の戦争に対する思いは人それぞれ。
無理やり記憶の引き出しを引っ張りだすようなことは出来ません。
ですが、せめて自分自身が聞いた話だけは忘れません。
最初に祖父母から聞いたのはまだ小学生の頃です。
30年ほど経っても今なお鮮明に覚えています。聞いただけでも強烈なのです。
祖父に刻まれた銃弾の痕。赤紙。戦地へ持っていった荷物。
若かりし祖母の恐怖。幼くしてとんでもない距離を歩いて帰った記憶。



甥っ子たちが大きくなったら話したいな、と思っています。
甥っ子たちの世代ではどうか世界中の戦争がなくなることを願って。
如何なる理由があろうとも決して戦争はしてはなりません。
誰かが得をする、あるいは損をする、の話ではありません。
戦争はまったく無意味な行為だと私は思っています。